
日本を代表する名門大学として、いまも飛躍を続ける九州大学。10万人を超える卒業生の活躍の舞台は世界に広がる。その九州大学を指揮するのは、工学博士でもある梶山千里総長だ。九州大学出身の梶山総長に今後の理数教育や九州大学の在り方について、インタビューした。
(メディア編集部)
Q:子どもたちの「理科離れ」についてどう考えますか。
A:まず、本当に「理科離れ」が起こっているのかと疑問に思っています。みんながそう言っているが、その根拠がよく分からない。ただ、算数や理科の成績が落ちてきているという認識は持っています。日本の学力は諸外国に比べ相対的に、落ちてきている。そして、絶対的にも落ちてきている。でも、「理科離れ」という定義は分からない。
それから、「最近の学生は目的意識がない」とよく言います。でも、「目的意識を持って大学へ入らないといけないのか」と私は思ってしまう。「目的意識を持て」などと、18歳の学生に言うべきではない。一生懸命に勉強するときはする。その結果として、就職などがあるのです。これは、目的意識脅迫論じゃないかと思いますね。「目的意識を持て」と言う人に、皆さんが大学に入った時には目的意識があったのかと聞きたいぐらいです。
私の場合、博士の学位をもらうまで目的意識がなかったと言っても良いかもしれない。とにかく、その場、その場で一生懸命に頑張ること。もちろん、小学校、中学校、高校や大学で頑張る対象も範囲も違ってくる。そこで必死に頑張った結果として、進路が見えてくる、というのが本来の姿だと思うのです。「ノーベル賞を取る」と言って取れるならば、話は簡単です。そうでなくて、一生懸命に研究した結果としてノーベル賞がある。そのあたりをちょっと勘違いしている人が多い気がしてしょうがないですね。
Q:では、日本の教育の現状をどう考えますか。
A:教育において、日本が世界の国と比べて劣っているのは家庭教育と初等教育だと思います。まずは、家庭教育です。子どもが2、3歳のころは、彼らにとってみれば経験のすべてが初体験。そして、すべてが疑問です。だから、何でもかんでも珍しくて「なぜ」と質問してくる。その時に大事なことが2つあります。1つは、質問したこと自体を褒めること。そして2つ目が、子どもと思わずきちんと説明すること。ごまかしてはいけない。子どもの質問の中には私たちにとって分からないことも多い。分からない時は、「後で教えてあげるからね」と言って、調べるなどして丁寧に教えてあげることが大切です。
次に初等教育ですが、小学校などでも少人数クラスが必要だと思います。そして、双方向の授業をしなければならない。20~25名の少人数がいいですね。先生がしゃべると同時に、生徒たちも質問をする。そういう授業がすべての科目に大事なことです。学力に関して言えば、いまはあまり子どもたちに勉強をさせていないと思いますよ。勉強する時間が足りていない。勉強がすぐ実力になるかどうかは別として、がむしゃらにやらないといけない時があるのです。例えば、漢字ドリルとか、終わったら次に進めるなど、競わせて勉強させる。また、数学の力が落ちているのは、暗算の力が落ちているからだと思います。最近は「そろばん」をやりませんね。昔は、よくやっていた「そろばん」、これは暗算の力をつける最も効果的なものです。数学の力をつけるためにもそろばん教育は必要だと思いますよ。
教科書の質も問題です。例えば高校の教科書。理科の授業を受けて役に立つと思える内容になっていない。分子や生物について習っても、これが役に立つ、楽しいと思えない。日常生活に密接に結びついていることが分かれば、楽しいし理解しようと思うはずなのに、そういう内容になっていない。ほとんどが大学受験準備用の教科書です。机の上でペーパーテストを受ける準備のためだけの教科書ですよ。
その点、外国の教科書は違う。化学の教科書には、あなたの学んでいる化学は、日常生活にこれだけ役に立っているのだときちんと書いてある。すると、自分が化学から受けている恩恵がいかに大きいのかが分かり、この恩恵を次の人たちに返さないといけないと思うようになる。そうすれば、化学に限らず科学を勉強しようという気持ちになるのです。シンガポールや台湾でも同じような教科書であり教育ですね。科学がいかに自分たちの生活のために役に立っているかを教えてくれる。日本では、そんなことは教科書に書いていないし、先生も教えない。理科なんて役に立たないと思えば、苦労して理系へなんて進まないですよ。あえていうなら、こういうところが理科離れの要因でしょうね。
Q:先生たちは何を教えればいいのでしょうか。
A:理科の世界は、日進月歩です。日進月歩しているからこそ、日常生活の役に立つ。学校の先生方には、それを学ぶチャンスがない。受験のための基礎だけを教える理科であれば面白くもない。毎年おなじことを教えればいいのならば、先生たちも学ばなくなる。科学の進歩している分野を学ぶ研修が、先生に必要ですね。科学の進歩を学んだ先生から、理科を教わった生徒は理科って面白いなと思うようになる。着ている洋服ひとつを例にとっても、石油からできているものと、羊毛からできているものがある。同じ石油を原料にしていても、ポリエチレンかポリスチレンで違ってくる。日常生活で役に立っているものを通して理科を学ぶと楽しいんですよ。
体験を通して学ぶことも大事ですね。教科書で理科を学ぶのではなくて、実験などの体験を通して学ぶ。そういった教材が日本の場合、きちんとしたものがない。アメリカの大学に行ったときに感心したことがあります。200名くらいいる化学のクラスで、昔の日本の大学みたいな階段教室の教壇で、教授が実験をしてみせるのです。教材も充実している。ビデオを使って、目で見えない世界をビジュアル化して教える。例えば、水のでき方。水素原子と酸素原子がどのようにぶつかって、水ができるのかを目で見て学ぶことができるのです。教科書だけで学んだ人間とは、理解の仕方がまったく違う。日本にこうした教材が不足しているのは、あまり大きな声でいえないが、国が教育に金をかけていないからです。金をかけないとだめですよ。
Q:ご自身が学生のころと今を比較するとどうですか。
A:いまの学生と私たちが学生だったころを比べるのは難しいですね。私が学生だったのは今から44年も前ですが、そのときの学生が優れていたかと言うとかなり怪しい。いまの60代が学生だったころは、勉強すべき科目が少なかった。だから、ひとつのことを勉強するのに割ける時間が多かった。しかし、もちろんパソコンもないし、インターネットなんてものもなかった。今の学生は勉強しなければならないことが多い。だから、総合的に判断するのは難しいです。
ただ、勉強時間は足りないと思う。われわれの時代は他に楽しみがなかったということもあるけど、今の学生は本を読まないですね。私が学生のころは、1日に1冊は読んでいた。世界中で、ある程度の先進国は同じ傾向であると思うが、とにかく日本人は本を読まない。アメリカ人には本を読む人が多い。飛行機に乗っても、本を読んでいるアメリカ人を多く見かける。日本では若い人が本をあまり読んでいない、だから文字からくる文化、つまり日本語の文化はだめになってきている。母国語が一番重要なのです。日本人なら日本語、アメリカ人なら英語と言うように。本を読むということは、論理的にものを考えることにつながるのです。日本語で論理的に説明できるようになる。母国語を理解するということで、論理的な思考力を養うことができる。論理的に、誰かを説得したり、文章を書いたりすることができるようになるのです。
Q:なぜ理系に進んだんですか?
A:高校を途中で変わったのです。長崎の長崎西高校から福岡の鞍手高校へ転校した。高校によって教える哲学がまったく違うのですね。当時、長崎西高校は自由な校風でしたが、鞍手高校は受験校で「とにかく受験勉強に熱中しなさい」という雰囲気だった。2年生の夏から1クラスの人数合わせで文系のクラスに入ったので、クラスの人と違う科目を受けるため、あちこちと教室を移動していましたね。前の学校で習ったことをもう一度習ったり、結局最後まで授業を受けられず自分で勉強しなければならない科目もあった。理系にいくか文系にいくかの選択はなんとなく、回りがみんな理系に行くということもあって理系に進みました。文系に行くという人があまりいなかったのですね。
数学の先生に恵まれたというのも大きい。数学はもともと好きだったのです。分からないところを先生に聞くと丁寧に教えてくれた。先生に質問すると「明日解いてくるから」と言って問題を持ち帰って、解き方を一生懸命考えてきてくれた。そして、先生の教えてくれたのは答えが同じでも解き方がまったく違うものでした。数学って、解いていく途中でこんなにもちがうのか、と感激したのを覚えています。数学は、答えは1つでも解き方はいくらでもある。だから、1つの答えを選ばせる今のセンター入試に疑問を感じる部分もあります。
化学の先生も印象に残っている。日常生活でいかに化学が役に立っているかという、教科書に載っていないことまで教えてくれた。授業を聞いていると楽しくなったのです。化学は、あまり好きではなかったけど、大学での化学の授業の話なども先生がしてくれて、工学部の応用化学科にいってもいいなと思い始めた。それで、なんとなく受けた。使命感はなかったですね。でも、高校時代の2人の先生の影響は大きかった。化学を嫌いにならなかったし、応用化学科を受けようと思うまでになったから。
Q:どんな大学生活を送られたのですか。
A:大学では、一生懸命勉強しました。と同時に、人の2倍ぐらい遊んだ。メリハリをつけて1日24時間を有効に使っていた。クラブ活動もしたし、本も読んだ。家庭教師だって、3人も教えていた。ほぼ毎日ですよ。電車の中や授業の間など、暇さえあれば本を読んだ。昼休みは、仲間とじっくり語り合ったし、夜は飲んで回っていた。時間の使い方がうまかったと思う。当時は、家に閉じこもっている学生なんていなかった。まず、テレビがなかった。持っている学生はクラスで1人だけ。工学部の食堂にテレビがあって、東京オリンピックの時は、みんなで集まって見ていた。そんな時代でした。勉強も娯楽も多種多様な今の人にメリハリをつけろと言うのは難しいね。
Q:今の学生に言いたいことは。
A:「恥ずかしがらずに質問しなさい」ということです。大学の授業にいくと、アメリカの学生は幼稚な質問をしているのです。日本だったら、こういう質問をすると笑われるだろうなという質問までしている。それが、4カ月すると「あれっ」という高度な質問をするようになる。ここが、日本とアメリカの差です。学士の時は日本の学生の方が実力が上なのに、大学院を出るときは完全に逆転されている。アメリカでは、学位をとった時に、どこへいっても通用する人間になっている。日本の博士は、確かにひとつのことを深く知ってはいるが、周辺のことを分かっていない人が多いのです。そこが日本の企業が日本の博士課程の学生を敬遠する理由だと思う。
いまの学生には「とにかく一生懸命勉強をしなさい」と言いたいですね。そして、「恥ずかしがらずに理解するまで質問しなさい」と。質問しているうちに自分の考えがまとまってくる。日本人に欠けているところでしょうね。こういう姿勢がその人の個性を作ることにつながる。自己主張ができるようになるのです。
九州大学の学生は、個人、個人を見ると非常に優秀です。それでは、何がかけているのか。私は、「リーダーシップ」と「国際性」だと思う。自分の考えがあるからこそ、リーダーになれるのです。リーダーと一口に言っても、集団の大きさや環境によって、求められるものも変わってくる。その場、その場で一つの集団を率いていくためには、判断力と個性が問われる。そして、倫理観が重要になってくる。日本人として日本の歴史と文化を理解しておく必要もある。
国際性とは多様性ということ。世界には、貧困にあえぐ国、病気で多くの民衆が苦しむ国、政治的に不安定な国、宗教の争いが絶えない国などがあるということを知っていなければならない。国際性とは、つまり多様性を理解できる資質を持っているかということです。九州大学では今後、インターナショナルカレッジなどを作って、国際性を持った真のリーダーを育てていく。また、感性と技術の融合を目指した大学院を作り、「ものづくり」を追求していく。
私もそうですが、理系の人間には、「最高の技術でものをつくればいいんだ」という思いあがりがどうしてもある。それではいけない。例えば、最近のテレビにはワイド画面が多い。縦と横の倍率の比率が違うので、人間の顔が膨らんで見えてしまう。人間にとって最もいいものづくりには、安心や安全と利便性、それに加えて感動がないといけない。だからこそ、これからの「ものづくり」には感性が必要になるのです。
繰り返しになりますが、九州大学に入ってくる学生には「よく勉強しなさい」と言いたい。勉強をするために九州大学に入ってくるのであって、アルバイトや就職のために九州大学に入学するのではない。とにかく一生懸命に勉強する。そういう学生に入ってきてもらいたいですね。
【略歴】
梶山千里 九州大学総長(第21代)
1940年福岡県生まれ。64年、九州大学工学部卒。66年、同大大学院工学研究科修士課程(応用化学)修了。その後渡米し、69年に米国マサチューセッツ大学博士課程修了。同大博士研究員や九州大学教授、大学院教授、工学研究院長などを経て、2001年に総長就任。04年の国立大学法人化と同時に、国立大学法人九州大学総長となる。専門分野は、高分子化学。